出典:Studio Ghibli
ジブリ映画「かぐや姫の物語」のサブタイトルに「姫の犯した罪と罰」とあります。この罪と罰とはどんな意味が込められているのでしょうか。
今回は、「かぐや姫の物語」の罪と罰について考察してみます。
目次
「かぐや姫の物語」作品紹介
原作は、あの有名な日本最古の物語「竹取物語」。基本的には原作に基づき忠実に作られているが、御門の顎が長かったり、竹取物語に出てこない捨丸が登場したりします。「かぐや姫」としてアニメや絵本がでています。
かぐや姫の物語の製作は難航
構想50年、企画開始から公開まで約8年の歳月をかけ、約50億円の制作費をかけた高畑勲監督のジブリの超大作。他のジブリ作品と製作費(宣伝費含む)を比べると桁違いの費用がかかっているようです。
- 1986年 天空の城ラピュタ 8億円
- 1988年 となりのトトロ+火垂るの墓 約12億円
- 2001年 千と千尋の神隠し 推定20億円以上
- 2008年 崖の上のポニョ 34億円
高畑監督はアニメーターに厳しく指導をしてしまうため、原稿の遅れがあり、一時期公開の日程の見直しも迫られていたようでした。
一枚の絵が動くような独特な「絵」
出典:Studio Ghibli
「かぐや姫の物語」の作品は、今までのジブリとは違うラフなタッチの「絵」で描かかれています。手書き風に描いた線を生かし、まるで一枚の絵が動くような仕上がりになっています。
スケッチ風の絵というのは完成画じゃないんだ。たとえば、「こういう気持ちになっているから、それをささっといま書き留めたらこうなったんだ。こういう感じだったんだよ」というような絵になっている。鉛筆でザザッとしたり、途切れたり、そういう手法が大事なんです。 『高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。~ジブリ第7スタジオ、933日の伝説~』
総カット数は1423。1つのカットの色を決めるため、6時間も議論したこともあったという。
人物と背景が一体化したスケッチ風の画面づくり。これこそが高畑監督が『かぐや姫の物語』で目指した表現だったのです。
かぐや姫の物語のあらすじ
「今は昔、竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。」という原作同様、物語が始まります。
翁(おきな)は竹から授けられた砂金で「高貴の姫君」として育てることにします。
出典:Studio Ghibli
やがて女の子は「かぐや姫」の名を与えられ、高貴な身分となり、五人の貴公子から求愛されます。かぐや姫は、この求愛をかたくなに拒否します。この生活に嫌気がさしたかぐや姫は、次第に昔の生活を思い出し、小さな頃一緒に過ごした捨丸(すてまる)のことを想い始めます。
求愛では御門に後ろから抱きしめられ、なんとか逃げることができましたが、それからのかぐや姫は様子が悪くなっていきます。これがきっかけで、地球が嫌だという感情が月に伝わります。そして、嫗(おうな)に月に帰らなければならないことを打ち明けるのです。
出典:Studio Ghibli
最後に捨丸と再会することができました。捨丸はかぐや姫と抱き合ってしまい、2人は宙に浮きます。しかし、そんな幸せなひとときは、不思議な力によって終わります。
8月15日の満月の夜、翁たちの抵抗むなしく、とうとう月からの使者がかぐや姫を迎えにきてしまいます。かぐや姫は最後に翁と嫗に別れを告げますが、羽衣を着せられるとかぐや姫の記憶は消えてしまい、しずかに月の世界に帰りました。
出典:Studio Ghibli
かぐや姫の犯した罪と罰とは?
だって原作に書いてあるんですよ。姫は「昔の契りによって来たんだ」と言うし、お迎えの月の人は「罪を犯されたので下ろした」が、「罪の償いの期限が終わったので迎えに来た」とかね。 僕のアイディアというのは、罪を犯してこれから地上に下ろされようとしているかぐや姫が、期待感で喜々としていることなんです。それはなぜなのか。地球が魅力的であるらしいことを密かに知ったからなんですよ、きっと。 しかしそれこそが罪なんだと。しかも罰が他ならぬその地球に下ろすことなんです。なぜなら、地球が穢れていることは明らかだから、姫も地上でそれを認めるだろう。そうすればたちまち罪は許される、という構造。それを思いついたんです。 雑誌『ユリイカ』高畑勲監督のインタビューより
出典:Studio Ghibli
考察①かぐや姫の地上への憧れこそが罪
仏教において涅槃(ねはん)とは、生死を超えた悟りの世界であり、仏教の究極の目的とされています。欲や怒り、ねたみそねみなど煩悩を一切吹き消した悟りの境地が涅槃。
竹取物語では月を涅槃として表し、地上で輪廻の中で苦しみ、修行の末たどり着いたところが月となっています。
そんな月に住むかぐや姫が、愚か者の集まる地上に憧れを抱いたことこそが罪であるのです。
地上では感情に支配され苦しんで暮らしていく、それこそがかぐや姫に与えられた罰なのです。
考察②かぐや姫が地上で身籠ったことが罪
出典:Studio Ghibli
かぐや姫は、実は月の女性と地球の男性の間に生まれた子供なのです。地球の血を引いているかぐや姫は我知らず地球に惹かれ、月はかぐや姫を地球に遣わせます。しかし地球に行っても月に帰りたいと思わないことを条件とし、かぐや姫は地球に生を得たのです。
羽衣をきて天に戻る前、最後のシーンで、罪と罰に繋がるヒントとなる描写があります。かぐや姫は捨丸と空を飛びましたが、それによりかぐや姫は子供を身ごもります。作中の最後に出てくる月のシーンに出てくる赤ちゃんこそ、かぐや姫の赤ちゃんなのです。
地球の人との子供を身ごもったことこそかぐや姫の犯した罪であり、かぐや姫がそうであったように、その子もまたかぐや姫と同じ運命をたどる無限ループの繰り返しこそ、罰であったのです。
出典:Studio Ghibli
ラストシーンでかぐや姫が泣いた理由は?
かぐや姫が天人に導かれ、月に戻るシーン。 羽衣を着せられたかぐや姫は地球での経験や自身の感情など忘れてしまいます。 ところが、月に戻る途中にふと地球を振り返るとなぜか涙が流れているのです。 これはいくら羽衣を着せられても心の奥には何かが残っていたのではないかと思われます。
かぐや姫の物語の罪と罰まとめ
それはとりもなおさず、地球に生を受けたにもかかわらず、その生を輝かすことができないでいる私たち自身の物語でもありうるのではないか。地球を体験した月の人であるかぐや姫が、命あふれる地球の豊かさや、わたしたち人間の愛憎、善良さと愚かさを照らし出してくれないはずはない。 高畑勲「かぐや姫の物語」企画書より
出典:Studio Ghibli
日本の古き良き原風景、水彩画のような流れるような絵の描写、これぞ美しい日本のアニメーション。
竹取物語という日本最古の物語が原作であるにも関わらず、かぐや姫の心情が高畑監督の作品によって細かく描写され、観る方も感情移入ができるのです。
罪と罰とは何だったのか、そして幸せとは何か、かぐや姫が地上で生きたその一瞬一瞬を通して、与えられた生を力ー杯生きることの意味を考えさせられる作品です。
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